マクタンの思い出
書体制作の日々 番外 1999 フィリピン セブの離れ小島で

10/08(金)
午前10時半、日暮里駅で待ち合わせ。スカイライナー発車までのあき時間に旅行保険の手続きをすませ、いつもどおり車内でビールを飲みながら成田空港へ。保険は旅行中のケガや病気、死亡と賠償だけに絞り込むのでいつも1000円程度。金品の盗難に対して保険をかけなければこの程度で済む。

成澤は私が初めて見る小型の旅行トランクを引張っている。結構使い込んだものを人に譲ってもらったという。佐藤愛用のアルミ製でこぼこトランクは、家人が明日からの香港旅行に使用するということで、仕方なく使いなれない小さな車がついた普通っぽいトランクだ。佐藤のサブバッグは100円ショップで買ったミニリュック。子供用なのか、さすがに両腕をとおすのは苦しいが、手持ちの小物をしまい込むにはぴったりだ。外側についたメッシュのポケットがだらしなく口を開いたような仕上がりだったのを、佐藤は輪ゴム2本でそれを補修し「これで完璧、100円には見えないでしょ」と成澤に自慢する。

成田空港では日本酒と讃岐うどんで昼食。飛行機はフィリピン航空のセブ島直行便。ジャンボではないので座席は窓側から2-4-2と並び、足元も少しゆとりがあり、通路に出やすくて良かった。機内でフィリピン産のサンミゲルビールが飲めなかったのはちょっと残念だったが。

夕刻、フィリピン本島マニラ湾の上を通過し、薄暗くなったセブ・マクタン島へ無事到着。二人とも東京からセブ島に直行するのは初めて。少し前にスコールがあったようだ。暗く濡れた滑走路と飛行機を誘導するサーチライトの光線を横目に見ながら入国審査場へ歩く。いくら急いでも、どうせ荷物がでてくるのは一緒だからと、のんびり列の後ろに並び他の客の観察。マニラへの便だと男性がとても多いのだが、セブ島だとビーチリゾートということで男女半々ぐらいの比率。

さあ荷物を受け取り、空港施設を出てこちらの旅行社の人を見つけなくちゃ。いつもここで結構時間をとられる。自分達が旅行社の人と対面できても、他のツアー客がずーと遅くなれば1時間ぐらい待たされることもあるから。これが安いパックツアーの欠点かな。明るい空港内から外へ出ると出迎えの人々が薄暗い通路に溢れている。彼等の強い視線の中を目的の人を探しながら通り抜けるのは結構大変だ。ちょっと気を抜いていると、カバンが引っ張られたり、サトーさんこっちこっちとか言われて、適当なホテルに連れていかれたりしてしまう。幸い我々の目的の旅行社の人たちはすぐに見つかり、挨拶をすませる。彼等の本日の担当は我々2人だけだったらしく、さっさと荷物を車に乗せ、じゃあホテルに行きましょうと、小さな乗用車はマクタン島の暗闇へ走り出した。

今回の旅行の手続きをしたのは佐藤だ。マクタン島へ6年ぶりにいってみようと決めた次の週には予約をすませたのだが、ちょっと失敗をしていた。旅行専門誌で見つけたツアーが、連休がからんでいるのに思っていたほど高くなかった。そこで佐藤は少しぜいたくをしようと、1クラス高いツアーとホテルを選んでしまった。たった1万円ぐらいの差だったのだが…。

前回マクタン島で利用したホテルは、各部屋が独立したコテージ形式になっていて、海から自分達の部屋へ直接戻れるし、自然に密着した環境が心地よかった。あの雰囲気で、あとは水の出が良いシャワーと窓から海が見えれば申し分ないと期待してのことだった。しかし、申し込み手続き完了後に届いたホテルの資料を見ると、13階建ての超豪華マンモスホテルだったのだ。

そういえば6年前にマクタン島に来た時に、マクタン島には、ヤシの木よりも高い建物を建ててはいけないという決まりがあるのだが、何かウラ金を使い、大きなホテルを建てたとか建造中だとかの話は聞いていたのだった(あっこれはバリ島のことだったかな)。そんなホテルにいつか自分が宿泊するとは夢にも思ってはいなかったのだが、そういう事情なので今回は少し屈折したホテル体験記になってしまうかもしれない。

夜にセブ島に到着したのは初めて。ホテルには8時すぎに着いた。ききしにまさるデラックスなホテルだ。ロビーには見たこともない大きなシャンデリアがキラキラと輝き、居酒屋の赤提灯に馴れた我々の目に眩しく突きささる。近くには人家の灯はまったく見えず、本当に隔離された場所のようだ。

あまりの豪華さに怯える二人は、さらに一泊につき約6000円の前払い金を要求され「聞いてないよ〜!」と怒りだした。だって宿泊費は払ってあるんだよ。たぶんホテル内の施設使用料やレストランの価格が客の予想より高く、チェックアウト時に払えなくなったり、文句を言う人がいるんだろうな〜。

日本人スタッフが常駐しているとっても素晴らしいサービス満点のホテルらしいので、そのスタッフにお話を聞かせてもらう。だが「前払い金の件は事前に旅行社には伝えてある」との一点ばり。言葉は丁寧で綺麗な人なのだが、とても感じの悪い女性と30分ほど交渉し、なんとか半額にしてもらう。到着したとたんのこの出来事で、さらに印象の悪くなったこのホテル。冷蔵庫の恐ろしく値段の高いビールを飲んで早々に眠りにつく。

10/09(土)
朝6時、部屋が明るくなり目が覚める。成澤が先に目を覚し、佐藤を待ち切れずにカーテンを全開したようだ。目覚めの一服というやつをやるために窓の外へ出る必要もあったのだろう。昨晩の到着時には暗くて海の様子がわからなかったが、今は良く判る。オーシャンビューの部屋ということで割り増し料金を払った結果が…。確かに海は見える。見えるぞ〜、はるか彼方に…。早朝の陽にキラキラと光るトロピカルな海。遠くに霞んで見えるいかにも南国的な2つの島影。青く高い空をすばしこく舞い翔ぶ海ツバメ。

しかし我々の部屋は5階だ。視線を下に落とすと4階の殺風景な灰色のモルタル塗りの屋根が10メートルほど先まで延びて視界をさえぎっている。遠くの海は見えるが、足元の海が見えない。早朝からがっかりなのだった。

気を取り直し、朝食前の運動ということで、部屋に置いてあるホテルのガイドマップを参考にこの特殊空間を1周してみることにする。ロビーまで降り、そこから庭に出る。海辺までの緩やかな傾斜地に作られた曲がりくねった小道の両脇には、綺麗に手入れされた草花、派手な色彩の鳥が入れられたケージが並ぶ。リゾートホテル特有の変な形をした結構大きなプールが2個。5分ほどで浜辺に降りられた。まだ宿泊客も遊びにきていない早朝の浜には、夜のあいだに打ち上げられた海草や多彩な生物を処理する人達が働いていた。まだ清掃が始まっていない区域で、アメジストのような綺麗な紫色の大きなクラゲをいくつも見た。まだ活きているのだろうが、皿に置かれたプリンとかババロアのように盛り上がった不思議な形と透明感がすごい。毎朝このような自然の生き物を片付けることで、サンゴの死骸でできた白いステキな浜辺が維持されていくのだろう。

浜辺を散策したあとは複雑な小道を抜けレンタサイクルの置き場へ。しかし、ここの自転車での行動範囲はホテルエリア内だけに限られていて、外へ出てはいけないと言われる。朝飯前に一周できる広さの中で自転車に乗っても意味ないな…。

ホテル内の大体の様子がわかり、自分達の部屋の位置関係もつかめた頃、やはり腹がへってきた。朝食用に用意されたレストランは1つ。食事はコンチネンタルとバイキングの2種、1200円と1800円か。やはり結構するね。とりあえず席を決めバイキングスタイルを選ぶ。

食べ始めて少しすると客が増えてきた。昨日の飛行機で一緒だった人達の姿も見える。彼らもここのホテルだったのか。旅行社が違うから別々にホテルに到着していたのだ。しかし、なにか雰囲気が違うぞ。彼らは男だけのグループだったのに、今朝は女性と一緒に朝食を食べている。そんな人達があちこちで口数少なに食事をしているのだ。な〜んだ、表向きはカッコつけて気取ったホテルのくせに、職業女性の連れ込みを認めてるのか。そのうちに我々の回りのテーブルの殆どが、そんなカップルで一杯になって、男二人カップルの我々はどうにも居心地が悪くなり退散することにした。まぁ、朝は仕方なく食べたが、以後ここのホテルで食事する気もないので、どうでもよいことなのだが。

9時。正面玄関からは、タクシーか旅行社の車、またはセブ本島へのシャトルバスに乗るしか許されていない雰囲気なので、ホテルガイドマップで見つけた裏口から歩いて脱出することにした。歩いて20分ほどの距離と思われるマゼラン・クロス(フィリピンに侵攻にきたマゼラン達とここの酋長ラプラプ達が戦った場所)まで行き、そこからはトライシクル(オートバイを改造した3輪タクシー)をチャーターし、6年前に泊まった「ブルーウォーター・ホテル」で自転車を借り、島を一周しようという計画なのだ。

ホテルへ通ってくる従業員たちとすれ違いながら、緩い坂道を我々二人は下っていく。一般道路に出たあとは左へまっすぐ歩いていけばマゼランクロスがある筈、と考えながら道に降りた。とたんに何人かの声が我々に飛んできた。目の前には貝細工の民芸品を売る小さなお土産屋さんが5、6軒並んでいた。声の主はその前にたむろする数人のトライシクルの運転手たちだ。

まずい…もう見つかってしまった。彼らにつきまとわれると貴重な時間が台無しになる。
「どこへいく?」
「トライシクルに乗れ、安くしとくぞ」

そんな意味の声に、誠意のない返事をしながら、すこし状況を観察する。ホテルの通用口の真正面に並んだ店は、我々のように抜け出してくるホテルの宿泊客を待っているらしい。ホテルの表玄関に入らせて貰えないトライシクルの彼らも、ここで獲物を待ち構えているのだ。彼らが食事をすると思われる小さな食堂もある。聞いてみると食堂はもっと早くからやっているというので、明朝7時にくるからヨロシクと約束する。これであのホテルで朝食を取らなくて済む。問題がひとつ解決しすっきりした。

マゼランクロスに向かって我々は歩きだしたが、予想どおり彼らもついてきてウルサイ。仕方ない、いつもの手を使うか(笑)。

「我々はハネムーン旅行に来てるんだから二人っきりにしてくれ!」
下品に笑われはしたが効果テキメン。ついてくるのは二人だけになった。ハネムーン中のこちら二人に気をつかったか、彼らは我々の5メートルほど後ろを歩いてくる。ときおり「ヒヒヒ」と声をだして我々のことを笑うのが、少し耳障りだが…。

道の両側には草むらが続き、ポツポツと人家がある。柵がしてあるところもあるから草むらは畑なのかもしれない。牛の親子がのんびりと草を食べていた。屋外で放し飼いにされている、この牛、近くでみるととても美しい。毛並みもきれいで健康そうだ。途中フィリピン特有のサリ・サリ(日常雑貨や軽い食料品などを売るお店)もあったし、これでホテル内では殆どお金を使わずに済ませられる見通しがついた。

マゼラン・クロスは、記念碑や歴史上の出来事を説明するわずかな施設があるだけの殺風景な公園だ。我々は近くの市場へ足を向ける。ここも前回きた場所なのだが一応もう一度様子を探ってみた。6年前とたいして変わりはないようだ。市場内には二人のフィリピン人はついてこなかった。市場は行き止まりの場所にあるから、彼らは公園で我々の帰りを待ち構えていた。そして彼らの傍にはいつのまにか真新しいトライシクルも停っている。

ちょっと歩き疲れた我々は、そのトライシクルでブルーウォーターホテルへ向かうことにする。値段の交渉をするが「トモダチだからイラナイ」と言われる。これが一番アブナイのは判っているのだが、彼らといくら話しても埒があかないので、そのまま乗ってしまう(良い子の皆さんマネしないでね)。

オートバイの横にもうひとつの車輪と客用の屋根付座席をつけたトライシクルは4人を乗せ走りだす。我々が手にするマクタン島の稚拙な地図を見るとブルーウォーターはすぐ近くなのだが、実際はかなり時間がかかった。歩かなくて良かった…ほんとに。

20分ぐらい走っただろうか、やっと見覚えのある道に出た。やはり様子が6年前とは変わっている。以前はホテルの門は鉄格子だったのだが、いまはホテル内の様子が見えない頑丈な木製の背の高いものに変わっていた。肩から銃を下げたいかついガードマンは我々二人をあっけないほど簡単に中へ入れてくれる。二人のフィリピン人は入ってこれない。これで彼らを振り切れれば良いのだが、彼らもヒマだからなぁ〜。何時間でも、門の前で我々が出てくるのを待っているだろう。

目的の貸自転車のエリアに行ってみる。ここも状況が変わっていた。その場所は室内射撃場になっていたのだ。ピストルだとかライフルとかが壁に架けてあり、1発450円ぐらいとかの料金表が貼ってある。モグリで営業しているコワイ人達に、知らない山奥へ連れていかれて射撃をするよりは、こういう場所のほうが安全なのは理解できるが、佐藤は興味がないのでさっさとそこを後にする。成澤は「やらないの…」と少し残念そうにしていた。

ホテル内のコテージ群を抜け浜辺まで歩く。自分達が前に泊まったのはあそこの部屋だったとか、あそこであんなことがあったね、なんて話しながら。本当のハネムーン客のようだ、ははは。時間は10時半ぐらいなのだが浜辺に客の姿は見えない。従業員を含めほとんど人間と出会わない。海上に張り出したレストランも覗きにいく。たくさん置かれた水槽内には魚やエビ・カニ・貝などがぎっしり用意されていて、ここの清潔そうな雰囲気は6年前と変わらない。三方を海に囲まれ下の海はサンゴ礁でとてもキレイ。壁もなく風通しの良いここで夕食をとりたい気も少しするが、周りは観光客だけだろうし、やはり遠慮しとくか…。

ホテルエリアの外へ出て、6年前に何度も通った近くの食堂へ行って見ることにしたが、ここも様子が違う。以前の場所に店はない。しかたなく10メートルほど離れた店に入ってみる。
本当なら、何度も食事をした店に「またやってきたよ〜」と顔を出し、ワイワイ言いながら皆でビールでも呑もうと思っていたのだ。

案の定、店は我々が6年前に親しんだところと全く関係ないようだ。期待していた店よりは、少し明るく広く清潔。客は我々だけ。まだ10時半だけどね。オカズの品揃えも貧弱だし腹も減っていないので、チッチャロンという豚の皮を乾燥させてから油で揚げた、袋入りのスナック菓子のようなものをツマミにビールを呑む。店番の女の子が一人のさびしい状況。昼になればもう少し混むのだろうが、ブルーウォーターがあまり繁盛していないようなので、近隣のこんな店にも影響が出てるのだろう。

6年前のあの時の人達の誰とも会えることなしに、例のトライシクルにまた4人乗りをしてホテルに戻った。途中、彼らが言うことには、この辺のホテルはみんな、我々の泊まっているビッグホテルに客を奪われ、苦しい状態らしい。そんなにイイホテルだとは思わないんだけどね。

ホテル裏口前に戻ったのは11時頃。小さな食堂でビールを6本買い込み部屋へ戻る。街で買えば5分の1の値段だ。別れ際、通用口を最後までついてきたトライシクルの運転手に「オンナはいらないのか」と聞かれる。また始まった……。フィリピンの観光地では、男だけの旅行者と見れば必ずこの話しになるのだ。

「さっきハネムーンにきてると言っただろ!我々は女性に興味はないの!」
 これで相手も諦めると思ったのだが…
「おまえら本当にそういう趣味なのか…、じゃあ少年はどうだ、俺の息子は16才でピチピチだぞ」
「……」

予期していないキワドイ返事に2秒ぐらい固まってしまった佐藤と成澤。しかし、いくら貧乏だからって自分の息子を親が直接提供するか〜。冗談とは思えない目つきだったぞ、あの運転手…。

部屋に戻り時計を見ればまだ11時。さっきの言葉がまだ耳からはなれず、重苦しい雰囲気の二人は気分転換に屋外へ出る。プールと浜辺で成澤の水泳指導…久しぶりの海の水はしょっぱい! 昼飯ぬきでビールを1本だけ呑んで部屋で昼寝。

4時半。成澤が大好きなバンブー音楽を聴きながら、少しイイ店で食事でもしようと早めに裏口からホテルを出る。また彼らにつかまる。バンブー音楽を生で聴ける店を知っているか彼らに尋ねると、マクタン島最大のラプラプ市繁華街へ行けばあるという返事。まだ時間が早いことだし、ラプラプ市観光も兼ねて彼等に任せてみるか。トライシクルになんと5人乗り。朝の時より増えた一人とは、運転手の息子「16才でピチピチ」のアレックスだ。元シブがき隊の本木雅弘を色黒にしたようなナカナカいい男。

アレックスの運転するトライシクルは、かなりのスピードで夕陽に染まる田舎道を突っ走る。30分ほどでラプラプ市内に入れたが市場付近がすごい交通渋滞。大きな車はいないのだが、トライシクル・乗り合いバイク・ジープニーなどで大混雑。どの乗り物も窓ガラスなどないから、隣の乗り物の人と肌が触れそうな接近の仕方なのだ。隣の車からこちらの荷物を盗られる可能性もありそうな状況。ここで運転がアレックスから親父に変わった。まだ新しいこのトライシクルで接触事故は避けたいのだろう。

しかしなんと賑やかな市場だ。我々の好きそうな屋台がたくさんある。あちこちから漂ってくる旨そうな香りと煙り。この島にこんな大きな繁華街があることに前回来たときは気づかなかった。その渋滞地域を20分かけて通り過ぎ、ついた場所はセブ本島への渡船場だった。互いの島を結ぶ大きな橋が2本あるのだが、まだまだ船で行き来する人達も多いようだ。夕暮れの小さな波止場、仕事場から自宅へ帰る人々が船に乗るために列をつくり並んでいる。こういう生活の一端が見える景色が佐藤は大好きだ。

 日が暮れないうちにと急かされ次に案内されたのは教会。どこにでもある普通の教会なので、ざっとひと回りしトライシクルに乗り込もうとしたのだが、教会に奉納?するローソク売りの子供の前で足を停め、佐藤が少しお話しをしてしまった。ローソクを買って貰えると思ったのだろう。他のローソク売りの人達があっと言う間に佐藤の回りに集結し「俺のローソクを買え、買うんだ〜」とローソクを目の前に突き出し騒ぎだす。

ローソクの2〜3本も買ってやるかと思っていた佐藤は、彼らの強い気勢に気が萎えてしまい立ち去ろうとしたのだが…。そこへ例の運転手親父が割り込み「100本買ってやる!」と言い、火のついたローソク100本を受け取り、佐藤にお金を払ってくれと言いだしたのだ。ローソク代は大した金額ではないのだが、こっちの懐をアテにした彼の勝手な行動に怒った佐藤は「私はローソクを買うなどと一度もいっていない!あんたが勝手に買ったのだから私は払わない!」と丸顔ながらとってもコワイ形相でキツク言い渡す。思わぬ反撃に驚いた運転手は、ローソク売りにしぶしぶ自分で代金を払い、神妙な顔つきで100本のローソク束を教会に捧げにいった。夕方の暗い背景に沈み込んだ教会のシルエットと捧げられた沢山のローソクの小さな火は、絵のように美しかったのだが…。

まだ佐藤と成澤は朝からトライシクルの運転手連中にお金を一銭も払っていない。というか受け取らないのだ。これは彼らの作戦で、トライシクルの料金以上の金額をどこか他の名目で稼ごうという魂胆なのだ。むざむざとそんな作戦にひっかかる訳にはいかないコチラと、お金を稼ぎたいアチラの戦いが始まっているのだ。

成澤が所望したバンブーミュージックとは、竹で作られた何種類もの楽器で奏でられる、心やすまる優しい音楽のこと。フィリピンバーとか南国ショーなどで見かける、竹の棒を跨いで踊る騒がしいバンブーダンスとは全く異質のものだ。日曜日のマニラ空港到着ロビーなどで昔は大学生の無料演奏などが聴けた。あとはマニラ空港ちかくのナヨン・ピリピノというフィリピン民族公園でも演奏があるかもしれない。以前東京のデパートに演奏団がきたときは二人で聴きにいったこともある、思い出深いサウンドなのだ。

「そろそろバンブーミュージックの聴ける店へ行きたいのだが…」
そういう店は7時過ぎからしか始まらないと運転手たちは答える。ローソクの件で互いに少し気まずい雰囲気になっている。軽くバーベキュー屋でビールでも呑んで時間をつぶすことにしよう。大きな交差点の角。道端に丸いテーブルを何個も並べ、調理場から大量の煙と美味しそうなニオイをまきちらしている店。豚・羊・牛・鶏と適当に注文しビールを呑みながら5人で食べる。バナナの葉で包まれた美味しそうな蒸し物も注文してみたが、中身は味のついていない白い普通のご飯だった。

一度堅くなった空気はなかなかほぐれない。仕方なく我々は若いアレックスに話を振る。いろいろ聞いてみると、彼は運転手の実の息子ではなく、運転手の再婚相手の息子だと判る。な〜んだ本当の子供じゃないんだ、それで親はあんなヒドイ事を口にしたんだ……いや、再婚相手の連れ子にそんな事をさせる方がもっとヒドイことかも……と我々の口数はますます少なくなってしまった。

「サンプラスは私のアイドルだ…」
「サンプラスってテニスプレイヤーの?」
「もちろん!あんたたちテニスできるの?」
新しい親父と一緒に住んでいるが、仕事もないので時には男相手に売られそうになる、顔はカッコいいが性格が少し暗いアレックス。その彼の口から唐突にこぼれた言葉からテニスの話しになり、明日の朝、ホテル内のコートで彼らとテニスをやることが決まった。

気まずく長い時間だったが、時計の針はいつのまにか7時を過ぎたようだ。目的のバンブーミュージックの聞ける店にやっといける。そこでゆったりと柔らかいサウンドに心も身体も委ねてリフレッシュしよう。また窮屈なトライシクルに乗り込み5分ほど走った。食事をしながら生演奏が聴ける少し大型のレストランを期待していたのだが、目の前の店の入り口にはピンク色のネオンサインが怪しく点っている。

「イメージが違うな…」
脇の暗い駐車場には数人の得体のしれない人達がたむろしている。
「ここでバンブーミュージックが聴けるんだね、本当に」

何度も確かめる。入るしかなさそうだ、自分達で確かめるしかない。運転手たちは駐車場で我々が帰るまで待つという。心を決め入店。ピンク色の弱い灯に照らされた店はかなり狭い。ボックス席が4つほど並び、その前に小さなステージらしきものがあるが薄いレースのカーテンがかかっていてバンド用のステージには見えない。これはヌードダンサーとかが使うステージじゃないのか。バンブーミュージックの楽器は大きいものもあるし、10人以上の人数で構成されたバンドもあるのだから、こんな小さなステージで演奏できるわけがない。他に客は誰もいない。

席にも座らず躊躇していると、奥からミニスカート姿の若い女性が一人二人と出てくるではないか。これは違う!違うぞ!女性が売りのバーかクラブじゃないか!さっと店の外へ飛び出す二人。わずか30秒ほどで出てきた我々に驚く運転手連中。しばらく店の連中と運転手達、そして佐藤と成澤の話し合いは続き、結論が出た。

バンブーミュージックのことを誰も知らない…。そしてマクタン島にはそんな音楽を聴かせる店は無いということ。
激しく落ち込む二人……。ラプラプ市にくればそんな店があるというからトライシクルに乗り、これまで時間をつぶしていたのに、それが全部無駄だったのだから。彼らはそんな音楽にこだわることは無いだろう、というのだが、我々は納得がいかず、どこの店にも寄らずに帰ることを決めた。

また気まずい雰囲気の再開だ。運転手連中は我々をあのちょっとヤバそうな店に送り込んでバックマージンを貰おうと考えていたのだろう。作戦どおりにいかず、収入はゼロ。逆にローソク代金100本分の赤字なのだ。無言の男5人が乗るトライシクルは、さびしい田舎の暗い闇の中を、怒りをエネルギーに猛スピードで突っ走る。

熱帯とはいえ、夜風にさらされ続け身体が冷えてくる。とうとう成澤が「うっオシッコしたい」と言い出した。佐藤も似たような状況だ。デコボコ道を走るトライシクルは、ときおり大きくバウンドする。そのたびに「オゥ!」とか「アゥ!」と欧米人のような声を洩らし股間を押さえる二人。

夕方ホテルを出発してから一度もトイレに行っていない。焼き鳥を食べながら呑んだ数本のビールも効いてきたのだ。しかし「オシッコしたいから停めて!」という和やかな雰囲気ではないのだ、今この5人は。なおさら無口になり気温のせいではない汗をたらしながら50分ほどでやっと見覚えのあるホテル通用門近くに着いた。素早く降りた二人はトイレがどこにあるか彼らに聞くが、「そこらでしていいよ」と冷たく言い放たれる…。ホテルのロビーまでは歩いて5分以上はかかるし……、しかたなく佐藤と成澤は暗い闇に向かい、彼らに後ろから見られながら連れションをしたのだ……あぁ日本の恥。

昼間は何軒もの土産屋が並んで営業しているこの一画だが、この時間には殆どの店が閉まり、営業中の店は2軒しかない。朝と晩の2回利用したトライシクルの料金を払っていない我々は、ここで彼らに少し奢って貸し借りなしのスッキリした金銭関係にしようと、ジュークボックスの置いてある店に入った。窓にはガラスもないので、外を歩く人と握手ができるような風通しのいい店。当然エアコンがあるわけはない。ここで運転手・アレックス・いつも付いてきたオッサン達とビールを呑み始める。彼らも我々二人はとても金ヅルにはならないと理解したのだろう。我々とは殆ど口も聞かず、外から覗く近所の人まで誘いこみ大音量でカラオケを始めた。

オシッコを出したばかりだが「熱い地方では水分をこまめに補給しないとイケナイ」と本に書いてあったことを思いだし、またビールを呑み始めた佐藤は、この店には食べ物が無いらしい事に気づく。この店でタガログ語や英語そして素人の歌を聴くよりは腹を満たしたいと、一人外へ出る。とは言ってもやっている店はもう1軒しかない。その店はドアの横の窓辺で駄菓子のような物を売っている小さな小さな食堂。今朝、明日7時にくるからヨロシクと約束した店だ。

入ってみると小さなテーブル2台だけで客は誰もいない。メニューがあるわけでなく、朝みかけた総菜が入ったいくつかの鍋も見当たらない。時間は9時過ぎ、こんな時間に外食する人はいないのだろう。仕方なく、窓辺に陳列してあるカップ麺にお湯を入れて貰った。あんな豪華なホテルに泊まっているのに夕食はカップ麺1個か。気分はサイコーだぜィくそ〜! 窓から幼い子供たちがもの欲しそうに覗いているが、知らん顔してスープ1滴残さずぜ〜んぶ食べてやった(ちょっとヒドかったかな)。

汗ダラダラで華麗な夕食を終えた佐藤は、部屋で呑むためのビールを買い込み店を出る。ビールは100円ぐらい。この店内で飲めばもっと安い。持ち帰りの場合は壜の代金が加算されるのだ。当然明日の朝、壜を返して代金を回収するつもり。佐藤がビール6本を抱えカラオケ屋に戻ると、まだまだ大騒ぎは続いている。窓の外から、人質金づる状態になっている成澤の頭を揺さぶり「もう帰るよ!」と合図。二人でホテルに帰還することにした。彼らのビールとカラオケ代金はそんなに大した金額ではなかったようでひと安心。彼らも気がすんだようで、一日中気になっていたトライシクル代金を請求される事はないだろう。

部屋に戻った成澤は、まだバンブーミュージックに未練があるらしく、電話をかけ始めた。ホテルの観光担当者に問い合わせるつもりのようだ。

「ディ、ディス イズ ナルサワ スピーキング〜なんたらかんたら…」
オォ、英語使ってる〜。すごいぞ、いままで隠してたのね、佐藤に気を使って。尊敬しちゃう、ステキ!惚れ直しちゃう。NOVAに通ったのかしら、それともジオス?
「チェンジ…プリーズ ジャパニーズ…」
10秒もたたずに小さな声が聞こえた。

そして成澤の話す相手は、到着時に前渡し金の件で説明してくれた日本人のネエチャンに変わったようだ。
「あんなヤツにフィリピンの音楽のことなんか解かるわけないよ」
まだ、感じの悪い接客態度を根にもっている佐藤が毒づく。会話を聞いていると、やはり成澤の所望する音楽はバンブーダンスと間違えられてる。何回かのやり取りの後、とうとう根をあげたネエチャンは
「こちらできちんと調べて必ず連絡します」
とカッコよく言って電話を切った。しかし、それっきり何時間待っても彼女から電話はかかってこなかった。以後ホテルを去る日まで彼女は私達を避け続け、フロントで呼び出しても彼女は居留守を使い、私達の前にその美しい姿を二度と見せてはくれなかった…。

10/10(日)
今朝は5時にカーテンが全開される……。なぜ旅行になると早起きなのだろう、この人は。
海の見えるテラスで成澤が作ったコーヒーを飲んでから、昨晩佐藤がカップ麺を食べた店にビール瓶を返却がてら朝食に行った。7時少し前で、ちょっと早い気がしたがやはり準備ができていない。約束しておいたんだがな…。店の人はまだ寝起きの顔で支度をする気もないし、ビール瓶の返却値段でも少しモメた。気分を害した佐藤の決断でこの店をあきらめ、マゼラン・クロス近くの市場へ向かう。昨日と同じ道をまた二人で歩く。前日ついてきた下品な人達は後ろにいない。右手遠くの海を眺めながらのんびりと緩い坂道を下る。

何組みかの家族連れと擦れ違う。日曜日の朝の散歩なのだろうか。こちらのテンションもまだ低く、特に言葉を交わすわけではないが、互いに立ち停る。興味津々の瞳と笑顔の子供たち。ただ観察しあって、伝わらない言葉を何度か発し、インスタント写真を撮ってあげる。たった数分間の静かな交流。彼らは長い影を道に映しながらゆっくりと去っていく。

市場を入ったすぐ右側。総菜の入った鍋を5〜6個店頭に並べた食堂に決める。ひとつずつ鍋のフタをあけ料理を確認しながら、魚のシニガン(米の研ぎ汁をベースにしレモンと塩で味付けしたスープ)、魚の唐揚げ、アズキ?の煮たもの、コーラ、ライス1皿を注文。アズキの煮物は塩味、他のものも美味しく、総菜も肉・魚・野菜と揃っているので、明日から朝はこの店で食べることに決定。家族でやっているこの店、雰囲気がイイ。愛想のいい娘さんが心をほぐしてくれるので楽しい食事だった。ミネラルウォーター4本持ち帰り分を含めて400円ぐらい。

朝食後、市場内で夕食用のレストランを物色する。熱帯特有の極彩色の魚を並べている店の殆どが、奥に座席を用意し、買った魚介類をその場で調理し食べさせてくれるようになっている。海に張り出したテラスを持つ店に入り、少し見学させてもらう。美しい夕焼けを見ながらの、冷たいビールと美味しい魚介類の夕食。日焼けした肌を夜の潮風が心地好く撫でていく…そんなことを想像しながら海上テラスの椅子に座った。

しかし…目の前には灰色のドロドロの海。ちょうど干潮の時間なのだ。膝くらいまで潮が引き、濁った海の中をビニール袋を持った人達が徘徊し、小魚やエビ・カニを捕っている。変なニオイも鼻につく…。これは下水道特有のものだ。ここの市場のさまざまな排泄物(!)がたれ流しにされているらしい。富栄養化された海には沢山の魚介類が育つからね…。そしてそれらが市場で売られ食べられ排泄され、それを食べて大きく育ち、捕られ、売られ食べられ……と究極の食物連鎖が続いているのだ。

夜になれば潮も満ちニオイも無くなるだろうし、イヤなものは暗くて見えなくなるだろうと佐藤と成澤は黙って店を出た。市場の中の店はすべて同じ状況なのだ。深く考えないようにしよう。二人が泊まっている豪華なホテルだってこの市場から魚介類を仕入れてるかもしれないのだし。いま見たものはすべて忘れよう!!!!!

ホテルへ戻りひと休みすると午前9時。昨晩アレックスたちと約束した成澤希望のテニスの時間。佐藤もしかたなく生涯3度目のラケットを握る。2度目のテニスは前回のマクタン島。その時は午後2時ごろの熱い太陽の下で走り回ったので、佐藤は熱射病状態になり数時間ベッドで倒れていた。今回はさっき買った4本のミネラルウォーターを準備し、太陽もまだ低い位置の午前9時という時間を選んだ。昨日の運転手の息子アレックス、そして我々と一緒にずっとトライシクルに乗っていた名もしらないおじさんをホテル内コートに迎え行われた、日比対抗サンミゲルカップ。

テニスは名も知らないおじさんが一番うまい。次は成澤。アレックスと佐藤は同じ程度のヘタだ。結果は僅差で日本の勝利。あぁ疲れた〜、スポーツはあまり好きじゃないのだ私。その後はそのままプールへ直行し(水泳パンツでテニスしてました)身体を冷やし、プールサイドで持ち込みの小さなバナナとビール。

このホテルでは飲食しないと言っていた佐藤が、激しい運動のせいか甘いものが食べたくなったようで、とうとうハロハロ(かき氷が入ったクリームあんみつみたいなもの)を注文する。くやしいがウマイ! フィリピンで今まで食べたどのハロハロよりもうまかった。値段ももちろんベラボウなんだが…。1時頃部屋に戻り、成澤は洗濯。佐藤は柴刈りに……ではなく読書。そしていつもの昼寝。

夕刻5時。朝、偵察をすませた市場へ向かう。朝食をたべた店で挨拶をかねてビールを各1本。夕飯もウチで食べろと誘われるが、シーフードが食べたいからと、その店を出て海の上に張り出したテラスで食事ができる魚介類の店へ。

イカはキラウィン(フィリピン風の刺身)に、ハマグリは殻付きでバター焼き、泥ガニは中華風に炒めて貰い、ライスとビールの超特大ビン2本。さっきの店の出戻り看板娘ボニータもいつも間にか参加して、2時間ほどのタガログ語と英語と日本語の飲み会。料理はビールのツマミにしてしまったので、ライスだけが残った。調理場からバゴーン(アミの塩から)を少し皿に分けて貰い、その塩気でライスを食べきる。バゴーンにも色々あるようで、今回食べたのは、棒状に固めたドライなものを崩したフリカケ状だったが、日本の塩辛のようにドロっとしたものが一般的だと思う。

飲食代金は全部で1500円。満腹だ。勘定を済ませ外へ出ると周りの店は殆ど閉まり、市場はうす暗くなっていた。朝食をたべた店がまだ開いていたのでもう1度寄り、成澤が今回の旅の新兵器チェキ(インスタントカメラ)で無料写真屋を開業した。家族や近所の人達も沢山集まり、皆でビールを飲みながら異文化交流大騒ぎが始まる。

途中で佐藤はトイレに行きたくなり場所を聞く。マゼランクロス公園のはずれにあるよと教えられたが、灯も点っていない、真っ暗闇の公園はちょっと恐い。股間を押さえモジモジしている佐藤を見て、誰かが家族用のトイレに案内してくれた。フィリピンでは、シャワールームの隅に排水用の穴があいているだけ、というトイレが庶民的なものだと思うが、ここにはちゃんと西洋便器があった。洗濯もここでするらしく、絞った衣類が置いてあったり、小さなスペースのあちこちに生活の雑具が詰め込まれている。なかなかこういう場所には旅行客としては巡り合えないので、失礼と思うが写真を取らせてもらった。トイレを使わせてもらったことで互いの親近感は強まり、さらに場は楽しくなっていく。

灯が消えた市場内でその店の前だけが明るく、灯に寄せられた虫のように人が集まっている。そんな楽しい宴も2時間ほどでフィルムの手持ちが無くなり、人も散っていった。

さっきまでの熱い余韻を胸にホテルへ戻る暗い道。右側にオレンジ色の街灯に照らされた侘びしい店が1軒。ここ何日か脇を通り過ぎているサリ・サリ・ストアーだ。二人はフラフラと死にかけの蛾のように店の灯りに寄っていく。東京での二人は、アルコールが入ればいつもこの調子で、お金が無くなるか体力が無くなるまで灯りを求めて歩き回る。

金網ごしに(盗難予防のためか金網で囲われたサリ・サリが多い)ビールのつまみになりそうな駄菓子を買い求めながら、写真を撮ったりお店の人と無駄話。

ふと気づくと灯りの下のベンチに、いつのまにか美しい少女が座っている…。飲み過ぎの幻覚ではない。化粧気の全く無い健康そうな少女。暑いから涼みにきているらしい。突然現われた美少女に緊張したようで、大した会話もできない佐藤と成澤…情けない。でもきちんと写真は撮らせて貰う。50歳前後の日本人の酔っ払ったオヤジ達がこんな時間に15歳の女性と長話を続けるとナンカ誤解されそうなので、間違いが起きないうちに引き揚げることにした。

蒸し暑い南国の夜。お腹も心も満たされた二人は、べったりと肌にまとわりつく生温かい風を楽しむようにゆっくりとホテルへの暗い道を歩いた。

10/11(月)
6時起床。東京からコーヒーセットを持ち込んだ成澤が毎朝、本格的な夜明けのコーヒーを作ってくれるのだが、佐藤はコーヒーあまり好きじゃないぞ…。そして軽い二日酔い(ははは)。食事前に、成澤はホテル専属のコーチを早朝割引料金で雇いテニスに。佐藤はひとりで浜辺の自然観察。

9時、ボニータといとこのアマイをホテルに迎えて朝食の予定。このホテルで2度と食事なんてするものかと思っていたのだが、昨晩ワイワイ騒いでいるとき、ボニータが「美味しいパンが食べたい」とつぶやくのを耳にした二人は、「明日の朝、ホテルで一緒に朝食を食べよう」と約束していたのだ。バイキングスタイルの朝食ならば、パンは選び放題食べ放題だ。

白いTシャツとインディゴブルーのジーンズで時間どおり彼女たちはロビーにあらわれた。朝とはいえ南国の陽射しは強い。あの市場から緩い登り坂を20分ぐらい歩いてきた二人の鼻の頭には小さな汗が浮かんでいた。4人で席につき食事を始めたが、なぜかぎこちない空気。彼女達は馴れない場所で緊張しているようだし、我々は彼女たちがプロの女性と誤解されるんじゃないかと心配などしているから…。美味しいパンが食べたいと言っていたボニータも殆ど食事が進んでいない…。周りの雰囲気(9日の朝食のイメージ)もいけなかったかも知れない。

女性と朝食、などという我々には馴れない状況に、気の利いた会話も無いまま食事が終わり、レストランを後にして庭にでた。男二人で散歩するより、女性と一緒だとこのホテルの庭もきれいに見える。ビーチにも降りてみた。しかし、現地女性と浜辺まで散歩にくる宿泊客なぞいないので、かなり目立ってしまい、他人の視線が痛い。紫外線よりも強く突き刺さる。ぶらぶらと歩きまわりながら記念写真を撮ったりもしたが、あいかわらず口数少なく、いまどき珍しい生真面目な中学生のグループ交際のようだ。う〜ん、酒が入らないと女の子とまともに話もできないのか、この二人は! 夕方また会う約束をなんとか交わして、だらだらとサヨナラしてしまった…。もうちょっとうまく女性をエスコートできないのか、本当に。馬鹿馬鹿馬鹿〜。

若い女性への対応でぐったり疲れた我々は、昨晩の飲酒疲れを癒すため、昼間は休養と決めた。プールや浜辺のパラソルの下で昼寝。少し元気がでてきた佐藤は、浜辺で、たまたま隣に座った日本人女性に挨拶をしたが、しっかりと無視され約30分落ち込む。無視はコタエルね、この歳になっても。

夕方、朝の彼女たちと一緒にラプラプ市の市場見学へ。4人一緒にトライシクルには乗れないのでタクシーで行こうとするが、彼女達はタクシーは高いからジープニー(ジープを乗り合いに改造したもの)で行こうという。50分ぐらいはかかるらしい。

土曜日もラプラプ市に行ったが、我々の乗ったジープニーはその時とは逆に島をまわるコースを進む。マクタン島はデカイ。ビール飲みながら気楽に自転車で1周なんてできないよ。サイクリング計画はやめてよかった。

ジープニーは現地の人と一緒にキツキツの座席に座るから楽しい。道のどこからでも手を上げて停めて乗ることができるし。客は車体真後ろから乗り込み、腰をかがめながら両側の空いた座席に座る。天井は低くまっすぐ立ち上がることはできない。料金は運転手やその横にいる助手に渡すのだが、客同士が手渡しで前部へ送っていく。おつりも客の手渡しで戻ってくる。当然我々も知らない人からお金を渡され、次の人に送る。これがちょっと楽しい。自分達も土地の人間になったような嬉しい気分。ちょっと狭くてキツイがみんな信頼しあっている空間。赤ちゃんを連れた若いお父さんを成澤がインスタントカメラで撮っていた。荷台の両側に長イスが取付けられ10人ほどしか座れないこのジープニー。市場に着くまで本当に様々な人々が乗り降りしていった。

夕暮れのラプラプ市場は外も中も大混雑。肉も魚も野菜も全部一緒に買える大きな市場だ。時間が許せばゆっくり探索したいところだが、外はすでに薄暗くなってきているし彼女達も一緒なので、市場内をタテヨコに一度歩いて外へでる。こういう場所にきて何も食べずに帰るのはクヤシイので、ちょうど目の前にあった、串に刺し揚げた魚の練り物(薩摩揚げですね)を屋台で立ち食い。あつあつでウマイ。

すぐにトライシクル2台に分乗しデパートへ。地下のファストフード・センターのような場所で、佐藤はカラマンシー(スダチやカボス系)ジュース。成澤と彼女達は紫色のウベ(紅イモ)アイスクリーム。Tシャツなど少し買い物をして、最後はまたジープニーに乗り、出発点の小さなマゼランクロス市場に戻る。

空はすでに真っ暗。市場の各店先にともる白熱電球の光が我々を呼んでいる。さあ飲んで食べよう! ボニータの店から3軒ほど隣のアマイの両親がやっている店へ。

シャコ貝をキラウィンで、車海老は塩焼きに、剥き身になっていた貝の足部分(貝の名前や姿はわからず)を中華風に炒めてもらう。料理は葉っぱのお皿に乗せられて出てきた。伝統的なスタイルのレストランなのだ。あわてて店の隅におかれた素焼きのカメの水で手を洗い、現地作法どおりに手で食す。ビールの超特大ビンは1本しか在庫が無く、その後は小瓶2本。全部で昨日と殆ど同じ1500円ぐらい。

食事中、店内に入ってきたブドウ売りから2房もらい450円。ブドウはフィリピンではかなり高いらしく、過去に佐藤はこちらの人に頼まれて日本からお土産として高級ブドウを持ち込んだことを思いだしたりした。

東京で二人で食事をすると4〜5時間は平気で飲んでるのだが、こちらで現地の人と交流しながらだと結構疲れて(ジェスチャーが忙しくて)2時間ほどで食べられなくなる…。美味しい食事とアルコールによる効果で昼間の落ち込みもようやく癒え、2軒目はどうしようかと考えていた佐藤だが、成澤が珍しく胃のあたりが痛い(あっアイスクリームが原因?)というので最後の食事を終え、ホテルへ戻ることにする。

帰り道、サリ・サリ・ストアに昨日の女の子がいればイイナとちょっと期待したが、店の前の仄暗い灯りの下には、座る人のいないベンチと退屈そうな犬が3匹寝ころがっているだけだった。

明日は夜明け前の出発…。会えなかった少女のことを頭のすみで考えながら、言葉少なにちらかった荷物を整理し終えた佐藤と成澤。

きれいに片付いたテーブルの上にはグラスが2つ。海側の窓の向こうの闇から届くかすかな波の音を聴きながら、マクタン島最後のビールの栓が抜かれた……。

 

 

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