酒と馬鹿の日々
書体制作の日々 番外 1998 ベトナム

04/29(水)
明日の早朝から成澤さん(アニトの共同制作者)とベトナムへ。前回は南へ行ったので今回は北のハノイ市へ。旅のテーマは毎回同じ「街と人・道端の食事」だ。道端の食事より、道端の文字のほうが本当はカッコいいんだけど…。

04/30(木)
朝7時に羽田で成澤と無事合流。7:45発の飛行機で、羽田→関西→ホーチミン→ハノイと乗り継ぐのだが、関空で余裕たっぷり搭乗口前に陣取ったのに、仕事の話しに夢中になり目の前の係員から放送で呼び出される。お二人を乗せたら出発です…と。ホーチミン空港で国内線に乗り換える塔乗券が発行されず少しアセるが、なんとか日本時間で24:00頃ハノイ駅近くのホテルに到着。3食とも機内食はちょっとツラかった。冷蔵庫のビールを呑んで早々に寝る。

05/01(金)
誰かが早く起きてしまい、6時半には朝食も終え外へ出る。ホテルの周りを1周してから、ハノイ市の中心にあるホアン・キエム湖を目標に歩きだした。途中に小さな市場があったので中に入ると、ワンちゃんが足を天に向けて食肉として並んでいる。古くから日本を含めアジア全域で犬を食用にする習慣はあるらしいが、こんなに見事に並んでいるのは初めて見た。とりあえず1周したが食品全般が揃っているようだ。ホテルに近いのでまた来ることだろう。

30分ほど歩き湖に着いたが、佐藤の様子がオカシイ。目に落ち着きがなくなり冷汗を流している。ベンチに座っている女性に、腹を押さえながらジェスチャーでトイレの場所を尋ね、変な人ね?という目で追い払われる。事態は逼迫しているらしく、目的物が見つからないのに佐藤はなぜか早足になって湖の周りを不思議な小走りでさまよう。

ベトナムを歩きだして1時間もしないのに公衆の面前で……ううう。やっと寂れた野外音楽堂を見つけ、管理の人に特別に中に入れてもらい、佐藤は目的の場所に走り込む。その後をカメラを手にした成澤が「シャッターチャーンス」とニコニコと追いかける。うす暗い小さな部屋の中で完全無抵抗状態の佐藤の頭上を青い光が何度も走った…。

顔色の戻った少し怒り顔の佐藤。さきほどの激写のことなど忘れたフリで少し離れて歩く成澤。二人はしばらく口もきかずに湖をぶらぶらと半周。予定どおり、今夜上演される古典芸能の水上人形劇のチケットを買い、市内最大の市場ドン・スアンへ行こうとしたのだが、ミヤゲ売りの子供たちにまとわりつかれた。

普通ならひとつかふたつ土産品を買えば彼らは引き上げるのだが、どこから湧いてくるのか終わりのない激しい波状攻撃にあきれ、佐藤は道に座り込み、売りつけられた土産を現地の人相手に再販しようと試みる。しかしそんな努力も徒労に終わり、仕方なく絵葉書売りの少年をひとり臨時雇用し、市場へ行く道の露払いを頼んだ。

しばらくは黙々と歩いたが、あまりの暑さに路上の小さな店でひと休みすることにする。白い液体が入った薄汚れた大ビンが気になったので、それを注文。コップにその液体をそそぎ、砂糖・氷を入れて掻き回し手渡された物は、飲んでみたら豆乳だった。うん健康的、衛生面を気にしなければね…。

無事に市場には着いたが、小綺麗なビルの中だし日用品を中心とした品揃えなのですぐに飽きてしまい、ハノイ市北部のタイ湖へ行くことにした。

2台のシクロ(前に客を乗せて走る自転車?)に分乗し、さっき雇ったミント少年も同行。シクロは快適に繁華街を走り抜け、大きく空が開けた湖に着いた。シクロの上では風が気持良かったが、湖に着き10分も歩くと強い陽射しで頭がボーっとしてくる。しかたない、レストランに入ってビールで頭を冷やすことにするか。3人でビーフン2種・チャーハン・茹でたエビとヨーロッパ産のビールを6本ぐらい飲んだかな。約1500円、ちょっと贅沢しちゃったね…。

明日はミント少年の田舎へ行くことにし、運転手付の車(白タクだ)の手配を彼に頼んだ。一緒にタクシーでホテルへ戻るはずだったが車はなぜか別な方向へしばらく走り、見知らぬ小さな家の前で停る。ミントが勝手に行き先を変更したらしい。我々が車を降りるとタクシーは帰ってしまった。友達の家だから入れと言われ、布が垂らされた小さな入り口をくぐると中は6畳ぐらいのワンルームハウスだった。中年の女性と子供が3人…ぬるいコップ水を我々にふるまい、女性は外へ出ていってしまった。

10分ぐらいすると外にオートバイが停り、サングラスをした怖そうな人と若いきれいな女性がこの家に入ってきたのだ。この時点でやっと意味がわかった佐藤と成澤は必死に断るのだが、「もっと若いのがイイか?」とか「日本人なんだからこういうことしなくちゃダメだ」とか強引に攻めてくる。言葉が通じないし逃げ場がなくなり、しかたなく二人は互いに目を見つめ合い手を握ってさすったりし、我々はホモだからその必要はないのだとジェスチャーをする…(よく使う手なので最近は随分うまくなった)。しばらく二人でイチャイチャしていると、彼らはあきらめてくれたようなので、冷たい視線を背中に感じながら素早くその家を脱出し、タクシーを拾い大声で「○○ホテル!○○ホテル!」と叫びながら今度こそホテルへ戻った。今夜は互いのベッドをもう少し離しておいたほうがいいかも知れない。

ホテル近くの食料品店でフランスパンとチーズ、缶ビールを買い、部屋で昼食のやり直し。昔フランスの植民地だっただけにパンとチーズはかなりウマイ!…夕方まで昼寝(暑い国ではこうしないと死ぬらしい)。
我々の部屋はちょっと広く、設備も壊れたモノはなく清潔で快適。前に南ベトナムで窓のない部屋に通されたことがあったので、今回は旅行社に少しランクを上げてもらったせいか。いつも旅行カバンから出した私物で部屋中がちらかるので、今回はキレイに使おうと二人で目を見つめ合って約束。

人形劇は8時開演なので7時ごろ出発し、朝とは違う道を通って徒歩でホアン・キエム湖そばの劇場へ。観客の大半は欧米人で日本人は1割ぐらいか?民族音楽と水田で働く農民の昔話をテーマに約1時間。舞台はプールの上に設けられていて人形は水上を動き回る。裏で水中に身体を浸しながら操作するのは大変な重労働だ。う〜ん心が洗われたのか、すっきりした気分だ(エアコンが効いてたせいかな)。

暗く、むし暑い街をとぼとぼ30分ぐらい歩いて帰る。このままだと熱射病になってしまう危険を感じ、身体を冷やすためにビールを飲もうとホテル裏のオープンエア形式の大衆食堂へ。

もう10時だ。我々以外に客はおらず、お店の人達が食事をしている。豆腐の厚揚げと生のキューリを肴にビールを数本。頼まないのにお皿に山盛りの香りの強い草が出される。これも一緒に食べると健康的だし毒消しも兼ねているらしい。彼らも食べてるし、昼に入った店でも出てきた。

お腹も満たされたしホテルへ戻ろうとしたら、成澤がもう1軒行こうと言い出す。日本に居る時と逆のパターンだ。さらに二人は裏の道へ入り、やはりオープンエアの麺をメインとした店へ。ビールを頼んだあと、この麺は何?と指をさすとおばさんはスバヤクその麺を茹で釜に入れてしまう…。この卵、ナマ?と聞いた途端に卵も茹で釜に…。

3分後に我々の目の前にゆで玉子4個と五目麺の丼が2個並んでいた。これがウワサのぼったくりバーか? 汗をダラダラ流しながら、黙って口の中に全てを押し込む育ちの良い二人だった。勘定も少し高く憮然としたが、帰り道に、暗い路上で洗濯に励む少女たちを見つけ、写真を撮ったり洗濯を手伝ったり、キャアキャアと一緒に騒いで遊び、少し気分を直してから、二人は安らかな眠りについた。

05/02(土)
昨日は最初にしては濃い1日だった…。朝食後、軽く近所を散歩。小さな小さな市場を発見、モノを食べられる店?も何軒かある…。
約束より早く9時頃、絵葉書売り少年ミントがホテルへ迎えに来る。彼は自分のことを20才だというが多分15才ぐらいだろう。もっとも我々二人もアジアを旅行中は、安っぽい身なり、そして緊張感のない顔と行動から、学生?と聞かれることが多く、本当の年齢など誰にも信じて貰えないのだが。

3人で白タクの群れている場所まで20分ぐらい歩く。ミントが運転手たちと交渉し(昨日予約してたわけではないらしい)車を決め、ハノイの東60キロぐらいにあるハイ・ズーン地方へ出発した。
途中、エアコンの効いた車内から広くおだやかな水田風景を眺めていると、とても安らかな気分になれた。1時間ぐらい走ると車は本格的な農村地帯に入り、ミントの両親の家に向かうが、集落の入り口には車止めのようなものがあり、簡単には進入できなかった。苦労してそこを通り抜け、目的の家の前で車から降りると、目の前にはなんとも静かな世界が拡がっていた。

見渡す限りの水田と水路、はるか遠くの所々に集落と小さな林。車の走行音に馴らされてしまった耳だが、今は何の音も聞こえてこない…。こんなに陽が照っているのに、なぜか暑さも感じられない、不思議なそして懐かしいような風景。しばらく立ちすくんでいると、次第にいろいろな音が聞こえてきた。高い空から届く小鳥のさえずり、足元をヒナを連れて散歩するニワトリの声、車で侵入してきた我々を遠巻きに見ている子供達のささやき…。

ミントに促され、薄暗い家の中に入る。土間に直接おかれた質素な応接セットに座ると、ミントの父がお茶をふるまってくれた。久しぶりに親子が対面したらしいので一緒に記念撮影。しばらく歓談したり(言葉が通じない筈なんだが)、ベトナム名物の水パイプなどに挑戦して(佐藤は煙草が吸えない)笑われたりしていると、開け放たれたドアや窓から我々を覗く近所の子供達と目が合い、誘われるように外に出た。

それからは成澤がいつもアジアの旅に持ってくるインスタントカメラの大活躍だ。大人たちはカメラを向けただけで逃げたり顔を伏せたりするのだが、子供たちは2〜3分で浮き出してくる自分達の姿に驚き喜び、俺も撮ってくれ俺も、と成澤を大勢の子供達が取り囲み騒いでいる。

そのうちに大人達もコワゴワと集まってきたのだが、お母さん達の口元がなんか変だ。あまり女性の口元を見つめるのは馴れていない佐藤だが、チラチラと観察し、おはぐろだと気づいた。歯を黒く染めているのだ。いままで映画やテレビの時代劇で既婚の女性がおはぐろ処理をしているのを見たことはあるが、その黒さには艶がなく不気味な感じだった。しかしここの女性達の歯はビカビカに真っ黒く輝いている! そして生活の中で生き続けている本物のおはぐろを見て佐藤は少し興奮していた(おはぐろフェチか)。

しばらく出張写真屋のような仕事を続けたがフィルムが残りわずかになったので店じまいし、ミントと両親を食事に誘い、運転手を含めた6人で近所の食堂へ。注文は彼らにまかせたが出てくるのは肉料理ばかりだ。ご飯も食べろよ、と思ったが、いつも米を作っているので食べ飽きているのだろう。ひたすらビールと肉類を腹に詰め込みながら歓談(相変らず言葉は通じていないが)は続く。

途中、トイレから戻ってきたカメラを持った成澤が、必見のトイレだったよ、体験してきたらと無理に促す。まったく、食事中になんて行儀の悪いことをなんてつぶやきながらもトイレに歩きだす佐藤。数年後には、成澤の写真と佐藤の使用感を記した「アジアのトイレ紀行」なんて本が出るかも知れない…。

食事が済むと、すでに暑さが厳しい時間帯になっている。この辺には昼寝をする場所もなさそうなので、そろそろハノイに帰ることにした。しかし車をUターンさせる時に、前輪が道端に置いてあったアルミの洗面器をつぶしてしまったのだ…。ついさっきまでニコニコとインスタント写真に喜んでいた人達の目の色が変わり、日本とベトナムの情勢は険悪な雰囲気に突入した。このままでは、国交断絶の事態になりかねないと、車から降りた日本側は緊急会議を開き、彼らの要求どおり200円の経済補償をすることで無事に国交問題は解決した(メデタシメデタシ)。

最後に少しミソがついたが、結構楽しかった。早くホテルへ帰って昼寝をしようと帰途についた筈だが、どうも車はハノイに向かっていないような気がする。どんどん辺鄙な景色になっていくのだ。もう30分走っているが、他の車には1台も出会わない。昨日の二の舞か?また佐藤と成澤は手をさすり合わなければいけないのだろうか?

ミントに「我々はハノイへ帰るんだ」と言うと、彼はこの車は親戚の家に向かっていると答えた。ハノイから車で連れてきた日本人を自慢したいのだろう。そして赤ちゃんがいるので、インスタント写真も撮って欲しいというのだ。二人はしかたなく従うことにした、これも国際交流だ…と。しかし道はどんどん細くなり、畦道のようなところを通っている。ミントが道を指示しているが、車で来たことがないので親戚の家までなかなか辿りつけない。最後には、これ以上は車が進めずUターンもできない状況になり、とうとう運転手が怒りだしてしまった(内乱か)。この時点でようやくミントは、親戚の家へ行くのをあきらめてくれ、車は今度こそハノイ方向に走りだした。
 
ホテルで昼寝…。昼間けっこう疲れたので、夜は街で食料を買い込み、部屋でゆっくり食事をすることに決め5時頃、買い物に出かける。

犬肉を売っていた市場の入り口で、ベトナムでしか見たことのないタンロン、そしてマンカウの果物2種を調達。結構高かったので値切ろうとするとオバさんに怒られる…。う〜ん果物は贅沢品なのね。気を取り直し市場へ入り、さつま揚げ風なんだけど材料は肉(らしい?)の揚げ物と、干し魚を辛く味付けして揚げた物を味見させて貰ってから買う。ちょっと離れた店でエビをアメリカンドッグ風に揚げたものも少し手に入れた。野菜類が足りないと感じ、すぐに食べられそうなものを探す。漬物らしきものはあるのだがどうしても手が出せず、フライドポテトとニンニク風味の油と塩で味付けしたピーナッツで妥協。

帰り道の道端で、フランスパン用の小さな生地(たぶん)をさっと揚げて食べさせてくれる屋台(というより60センチ四方のテーブル1個の店)を発見、それを注文(10円)。少しだけ食べて残りはビニール袋に入れて持ち帰る(揚げ物が多すぎる!)。昨日の食料品店で、缶ビール・チーズ・フランスパン・ソーセージも買う。こんなに食べきれるだろうか…。

6時すぎからパジャマに着替え、手に入れた物をすべてテーブルに並べ、豪華な夕食会の始まりだ。ビールを飲みながら10時すぎまで、成澤の所属する業界団体や書体の権利問題についてマジメな話しが続いた。日本では二人だけでゆっくり話す機会が最近は無かったから、とても充実した貴重な時間だった。

食べ物はみんな美味しかったけれど、ソーセージが酸っぱかった…真空パックされ冷蔵庫に入っていたんだが古かったかな?少し心配なので半分残した(心配ならそんなに喰うな)。テーブル上にあんなにあった食料品が殆ど無くなり、替わりに並んだビールの空き缶を横目に見ながら、早々に満腹状態でベッドに入る。

夜更けにハノイを襲った激しい雷鳴と豪雨に、わずかに目を覚した二人だが「カミナリだ…」「雨が降ってる…」とつぶやいただけで、すぐに目を閉じ眠りつづけた。

05/03(日)
今日の予定は決めてないし、昨晩暴飲暴食したのでゆっくりと目覚めるつもりだったが、なにかオモテが騒がしく、朝早く起きてしまった。ベランダから下を眺めるとホテル前の交差点が昨晩の豪雨で洪水状態になっている。そこを車やオートバイが泥水に半分つかりながらジャバジャバと白波を立てて走っているのだ。東南アジアの下町は雨に弱い。下水道が完備していないから少しの雨で道に水が溢れだす。東京の下町も昔はこんなだったから佐藤にとっては懐かしい情景だ。

ゆっくり朝食をとったあと、レーニン公園へ行くことにしロビーに降りると声をかけてくる人がいた…。昨日の午後、やっと戻ってきたホテルの前で約束の料金を払い「もう君にはアキレタよ勝手に違う場所に連れていくなんて」と毒づいて(何語で?)別れた少年ミントだ。今日こそは、成澤と二人っきりで手をつないで歩けると思っていたのに(ウソ)。

実は、現地の人(ミント)と我々旅行者が一緒に街を歩いても、そんなに楽しいことはないのだ。道端に面白そうな店やモノを見つけても、我々が相手と接触するまえに彼が現地語で会話し説明をしてくれてしまうし、我々日本人と彼とでは興味の対象が全く違うから。やはり我々の旅のオモシロさは、言葉は不自由だけれども人間同士なんとかなるさ、なのである。その楽しみを奪わないでくれ、頼むから! あと二日しかベトナムにいられないんだぞ〜。

しかし、というか結局は言葉が不自由なためミントにそれを説明できず、我々の歩く傍を彼もついてくるのだった。しかたなく一緒にハノイ駅へ向かい歩きだす。途中で、佐藤が「おっ道端の文字」とかいってベトナム語の新聞を買った。今回の旅費をアジアの文字調査とかの名目で経費に計上するための証拠集めだろうか。

新婚旅行に親戚のオジさんがついて来てしまったような、妙な雰囲気のまま3人はハノイ駅構内を一周、レーニン公園に向け歩きだす…が殆ど会話することも、オモシロイものを見つけて立ち停ることもなく公園についてしまう。

園内には日曜日のせいか子供や家族連れが多い。小さな遊園地のような場所をぬけ奥へ進むと大きく静かな水面が現れた。バイマイ湖だ。繁華街にあるホアンキエム湖とは違い、3倍ぐらいの大きさで周りを林に囲まれている。湖を取り囲むように遊歩道があるのだが昨晩の雨でドロドロ状態である。しかたなく遊園地まで戻り、湖を1周する子供向けのミニ鉄道に乗ることにした。

車内は休日ということで小さな子供とその保護者で満席である。そこに男3人が座ると、はしゃいでいた子供達は黙りこみ、親達からは冷たい視線が飛んでくる。明るい陽射しの下に凍った空間が出来てしまった。子供の手を掴み、絶対あっちへいってはいけないよと目で制し、万一の時は飛び降りようと身構える母親達(ちょっと大げさ)。そんな時間が3分ほど続いたが、まず佐藤が向かい側に座っている5才ぐらいの子供と飴玉の交換に成功。少し空気がほぐれたところで成澤がインスタント写真サービスを開始し、車内は一気に明るく楽しい日曜の遊園地に戻った。

次から次に写真を撮ってくれと親子が押し寄せる。子供達はシャイでとても可愛い。空になったインスタント・カメラのフィルムカートリッジを一人の女の子にあげると大事そうに小さな手で抱え込み、親がお礼を言ってくれる。その子に頬にキスされた佐藤は少し顔を赤くしテレている(こっち方面も好きなのか)。結局30分の乗車中に我々は外の景色を見る暇はなく、ミニ列車は湖岸をひと周りし終点となってしまった。子供たちと別れ、公園を歩いているとアチコチに写真屋さんが目につく、値段を聞くと1ショット200円ぐらいらしい。3分で出来上がり、無料の成澤フォトサービスが喜ばれるわけだ…。

あいかわらずミントは同行している…。ホテルへ戻ることにし、昼近いキツイ陽に照らされた道をトボトボ歩く。ミントが何か一生懸命話しかけてくる。なんとか聞き取ろうとする佐藤。成澤は知らぬ顔で離れて歩いている。

ミントは昨日の夕方、路上で絵葉書売りをしていたら警官に捕まり、商売道具一式を没収された。そして罰金を払わないと道具を返して貰えないし刑務所へ入れられてしまう。その罰金を払うためにお金を貸してもらえないか?と言っているらしい。これだけの内容を佐藤に告げるなんて、彼も短い間に随分ジャスチャーがうまくなったもんだ……と感心してる場合ではないのだ。こんな話しを信用するわけにはいきません。そんなにウブじゃないのよ私は。ホテル裏の大衆食堂でミントに最後の昼食をごちそうし、引導を渡そう。

05/01の晩おそくにビールを飲んだ店だが、昼時は大繁盛している。客は大きめの薄青いグラスでビールらしきものを飲んでいる。我々も同じものを注文し飲んで見るとこれが生ビール(ビアホイというらしい)なのだ。地元のビール会社から配達された樽型のタンクを大きな氷で直接冷やし、ゴムホースから注がれるビールの美味しいこと!アルコール分は薄いのだが汗で流れ出た水分を補給するため大量に飲むには最適だ。茹で落花生をぼりぼり剥きながらゴクゴクとのどに流し込む。

このビールところでいくら?20円!え〜っ今まで缶やビンのビールはお店で飲めば100〜150円ぐらいしていたぞ。このビールなら100円で結構酔っぱらえる、ベトナムはいい国だ、と杯を重ねる佐藤と成澤。傍には付き合いでビールを飲まされ顔を赤くし黙り込んでいるミントがいた。やっぱり15才だなコイツ。適度に酔い、ミントにこれで最後だからと別れを告げ、例によって昼寝。

明日の晩にはベトナムを出るのだ、貴重な時間を大切に使おうと4時頃には、交渉の仕方にも馴れたシクロに乗りドンスアン市場へ。オミヤゲ(といっても自分の為の)を何も買っていないので市場周辺を歩き回る。ホアンキエム湖方面に近づくとミント少年に出会う可能性が高いので結構気を使いながらの買い物。やっと二人だけになれた佐藤と成澤は、途中で凍ったスプライト1本を分け合って飲む仲睦まじさ(違うって)。
ふらふらと彷徨っているうちに小雨が降り出したので、本降りにならないうちにシクロでホテルに戻る。

買ったものは、絵葉書・民族的お面(佐藤の趣味)・水パイプ・木彫りのカエル(成澤の趣味)などだ。忘れていたが午前のレーニン公園で買った葦笛などもバッグから出てきた。それらを二人で適当に分け旅行カバンに押し込むと、すぐに20円ビールを飲みに裏の大衆食堂へ直行。

まずは茹で落花生と生ビールで一息つき、2杯目を注文した後、おもむろに調理場へ行き料理を見繕い席に戻る。いっぱしのハノイ人になったつもりで夕暮れの街を眺めながらグラスを口に運ぶ二人…。

カッコよさそうだな文章だと。現実はビルとビルの間の土地に竹とビニールで屋根を葺き、床は土のまま。調理場も客席も洗い場もひとつの空間にあり、裏側にも壁はないし、入り口はすべて道路だから風通しは良いはずだが、実は暑く、何台もの扇風機が一日中動いている。そんな店なのだ。

たくさんビールを飲む日本人ということで、お店の人も愛想がいい。少し客足が減り手が空くと彼らは交互に我々のテーブルにきて話しをしていく(相変らず共通の言葉はないのだが)。ここでも成澤フォトサービスが開業し大成功を収めた。

4時間ぐらい飲んで食べて二人で450円ぐらい払ったが、いったい20円のビール何杯飲んだのだろう?しかし飲んだビールはすぐに汗となってハノイの夜空に蒸発していったらしく、途中一度もトイレに行きたいと思わなかったのだ。

05/04(月)
朝、食事のためロビーに降りるとミントが待っていた…。レストランの中までついてきて我々の食事中に、切手が一杯に詰まったストックブックを売りつけてくるのだ。二人はそんな趣味はないし、ミントのことをもう信頼していないので、全く買う気になれない。食事を済ませすぐにミントを無視して部屋に戻った。結局4日間、1日に1回はミントと顔を会わせたわけだ。部屋に何度か電話がかかってくるが無視。ときどきソッとロビーへ様子を見に降りたりしながら部屋にこもること1時間半。さすがにミントは帰ったらしい。

近くの小さな市場へ出かける。ここは屋根もなく路地の両側に売り子が集まっただけなのだが、なんでも口に入れて確認する(赤ん坊か!)二人には、何軒かある食べ物屋さんが気になっていたのだ。さっき朝食を終えたばかりだが、まずは小さなお皿に盛られた3センチぐらいの団子のようなものに挑戦。これは衣がツルツルの白玉風で中には黒砂糖を溶かしたものが入っていた。うん甘くてオイシイ。違う皿の大福モチの様なものも食べてみる。こちらは塩味の黄色いアンコがウマイ、栗のような味がした。

雷魚・鯉・タウナギ・カエル・タニシ・ウズラ・ニワトリなんでも生きたまま売っている。こんなに新鮮なものが買えるなんて、幸せだなハノイの人達は…。市場を離れ適当に歩きだすと天秤棒を担いだおばあさんがいた。子供が茶碗に白いものを入れてもらって食べている。これも挑戦だ。浅いオタマのような道具で白い軟らかいものを、鍋から薄く何回も掬い取り茶碗に入れていく。7分目ぐらいまで溜まったら、そこに甘い水をかけて渡してくれた。やさしい味だ、口の中で軟らかく溶けていくのは豆腐だった。我々が食べ終わるとおばあさんは枯れた声で「Dowfuuu〜」と日本とほぼ同じ発音の売り声を聞かせながら、次の客を求め離れていった。

首筋の汗を拭きながら成澤が、日本へ帰ったら散髪しなくちゃ、とつぶやいたのをきっかけに、イスを1脚だけ路上において営業している散髪店(?)へ直行。すばやく値段交渉し成澤の気が変わらないうちに始めてもらう。散髪屋さんは長い髪をポニーテールにした若く浅黒い男性だ。ちょっと前までニューヨークでカットの勉強してました、という雰囲気なので佐藤は安心したが、イスに座った成澤の額には汗が浮かんでいた。髪形について色々と注文したのだが彼は大胆にザクザクと切っていく。さすがニューヨーク仕込の腕前と佐藤は感心している。

30分程でベトナム風ヘアスタイルの成澤がみごとに完成(日本人には見えない)。これでもう高い絵葉書を売り付けられる心配は無くなった。1日目に散髪しておけば良かったかなぁ…。しかし、近寄ってよく見れば襟足とか髪の生え際あちこちに切り傷があり血がにじんでいる。カミソリの刃を指に直に持ち、顔を剃る彼のワザはニューヨーク仕込みではなかったようだ。

ところで、成澤が散髪してもらっている間に、佐藤は隣の宝くじ売りのおじさんと話しをして、この散髪屋さんが口と耳が不自由だと教えられたのだ。しかし佐藤も成澤も値段交渉したり髪形を注文したりするとき、彼の不自由さには全く気づかなかった。我々がいかに言葉を使わず現地の人と会話しているか、実証された記念すべき瞬間だ。

お昼は、またホテル裏の食堂で生ビールと茹で落花生・厚揚げ・串焼きの肉など。お店の人に「これが最後で、夕方には日本へ帰るんだ」と告げたかったのだが、お昼の稼ぎ時で皆忙しく働いていたので、勘定を払い黙ってホテルへ戻る。昨晩から、ホテルを出入りする度に旅行社からのメーセージを渡されている。帰りの国内線の出発時間が二転三転している。時間は余っているのだが、ホテルを離れるわけにもいかずに最後の昼寝をして時間をつぶす。

5時に迎えの車が到着し空港へ向かう。そろそろ電池が切れてきたのか?佐藤の動きが緩慢になり口数も減ってきた。前回のベトナム旅行でも最終日にはこんな症状だった気がする。ベトナムを愛してしまい去りがたいのか、歳のせいで疲れが限界に達してしまったのだろうか?それとも東京へ帰りたくない事情があるのか(正解は2番目…たぶん)。

来たときとは逆にハノイ→ホーチミン→関西空港→羽田と乗り継ぐ。空港や機内では、若い日本の旅行者たちがベトナムでの出来事を楽しそうに話している。それに較べこちらは疲労困憊、口を開く元気もない。3度の機内食にも殆ど手を付けず、翌朝、羽田で口数少なく別れ、今回のベトナム旅行は終わった。

事前に往復の航空券と朝食付のホテル代金は払い込んでいたが、4/30に羽田を出発し、また羽田に戻ってくるまでに使ったお金は二人合わせても2万円弱(ベトナムの空港税も含め)だった。信じられないぐらい安上がりだったが、なかなか面白い旅だった。次回はどこにいくのやら…。

最後に気になることがひとつ。関西空港から羽田へのJAL機内で、成澤が「スチュワーデスの制服を着たバービー人形売ってますか?」って機内販売の人に聞いてたけど…そういう趣味だったの?  

 

 

 

 

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