CAT(株式会社アルク)1999年10月 デジタルな本づくりの功罪 メール取材/松岡一郎

パソコン製の本は美しいのか(質問・返答の全文)

◎デジタル化の隆盛、パソコンの普及によってフォントの美しさは進化したか。したとすれば、どのような点でしょう。
アナログとかデジタルとかで書体のデザインが左右される訳ではないと思うし、デジタルフォントといってもピンからキリまであるのでなんとも言えませんが……。従来からの活字会社や写植会社が制作しているフォントは馴れ親しんだものなので何の問題もないと思います。デジタル化によって組版上の文字品質はアナログより高くなっている筈です。

問題があるとすれば、組版ソフトの特性を理解していなかったり、組版の内容に適合していないフォントを使用していたり、素人の人が組版していたり……結局、プロが本気で取り組んだ仕事が少なくなったので、DTPやデジタルフォント全体の品質が低いように受けとめられてしまっていることでしょう。
フォントのデジタル化は皆さんが毎日読んでいる新聞などの世界では20年以上も前から行われていることです。

◎逆に失われた美しさがあるとすれば何でしょうか。
アナログ的な複写(活版印刷や写植印字)によって発生する文字の微妙な「滲み」や「ボケ」など。この部分に感情移入している人たちは多いと思われます。将来この部分を再現したデジタルフォントが出てくる可能性もあります。また、一部の使い馴れた写植機や活字メーカーの書体がパソコンで使用できるフォントとして販売されていないこと。

◎佐藤様は一部のフォントを無償で配付されていますが、その真意はどのようなところにあるのでしょうか。
単純に自分がデザインした書体を多くの人に使って貰いたいというのが最大の理由でしょう。
はるか昔、カメラは専門家だけのものでしたが、いまでは数百円で買えるカメラもあり、プライベートな写真や映像が生活の一部に浸透しています。

このようにフォントの使い分けも生活の中に広まれば嬉しい。そして書体をデザインする私と、使う側の人たちとの密接な関係を作りたい(笑)。現在、国内外で約4000名の無償フォント登録者がいるのですが、直接ユーザからコメントを貰ったりするとけっこう感激しますよ。

 


MasterPiece(東京コミュニケーションアート専門学校)1999年7月 こだわりの作り手たち 文・構成/荒井絵美子

幼いころから模写は得意。レタリングの世界を知って、それならメシが食えると思った。
僕にとって書体のデザインは個人的創作活動のひとつ

誰が見ても何かが伝わる書体を作っていきたい
もともと書体って、昔はプロしか使わなかった。印刷業界のデザイナーしか書体を選ぶ機会がなかったんです。プロのデザイナーは、微妙なデザイン……たとえば、わずかなカーブの違いを見分けることもできますし、的確に使い分けることもできます。

しかし今は、ごく一般の方が使うようになった。パソコンを買えば、実にさまざまな書体が、初めからインストールされています。自分の好みの書体を、好きなところで使えますよね。それだけ書体が身近になってきたのだから、書体も料理や洋服のように、自分の好みに合ったものを使うようにすればいい。人それぞれに合う書体って、あると思うので。

書体がこれだけ身近になってくると、プロにしかわからない微妙な違いしかないデザインでは、一般の方は困っちゃうだろうなと思う。もっと個性がハッキリしていて、味のある書体。使いやすいだろうし、選ぶのも楽しいと思う。だからこそ僕は、文章の意味以上の何かが、伝えられる書体。だれが見ても、何かが伝わる書体を作っていきたいんです。

僕の場合、簡易プリンタで印刷しても、字が潰れない。そんな小さなことにも、気をつかっていますよ。洋服でも、すごくいいデザインなのに、着てみたらチクチクしたり、裾がボロボロだったらいやですよね。
やっぱり裏地まで、気を使ってきちんと作りたい。見かけだけではなくて、製品としてちゃんとした書体を作るようにしています。

ここまでこだわるようになったのは、以前に、印刷会社に勤めていたので、作品というだけではなく、製品として書体を見ているんだと思います。印刷会社は、印刷してお金がもらえます。字が潰れたり、かすれていたら、お金は取れません。若いときに印刷会社で育ったから、目がうるさくなったのかもしれませんね。育った環境というのは、結構出ますから。

ひとくちに書体のデザインといっても、実はいろいろな仕事があるんです。写植用の書体を作ったり、デジタルな書体……パソコンで使う書体もあります。作る環境も、どこかの会社に属したり、個人でやったりと人それぞれです。

僕にとって書体のデザインは、個人的創作活動のひとつ。小説家が文章を書くのと同じなんです。グループで作るものには、そこでしか得られない良いところもあると思います。でも僕は、自分の個性や色を失いたくないし、消したくない。書体のデザインぐらい、ひとりでやりたいという気持ちがあって、今までひとりでやってきました。

長い間使われつづけ、さまざまな人の目に触れる。しかも純粋に書体のデザインや機能性で評価される。そういう仕事がしたくて、求めつづけていたら、今の仕事(書体デザイナー)にたどりついたんです。

僕は今まで、かなだけの書体や、英数字の書体を作ってきました。最近、本格的に漢字書体を始めたんだけど……やっぱり漢字って、すごいんですよ。全部で七千字くらいあって、数のプレッシャーがすごくある。でも、いつかは今までやってきたかな書体と、これから作っていく漢字書体を統合したような、フルセットの書体を作りたいな。

僕はだれかに頼まれて、この仕事をしているんじゃないから。自分でやりたくって、やっているだけ。自分との戦いはつらくて大変だけど、フルセットの書体を何としても世に出したいですね。

若い人は、今の環境をもっと利用すればいい
パソコンは使い始めて、もう十年ぐらい。僕はMacを愛用していて、大切な仕事道具です。今はパソコンスクールがあり、本屋に行けば参考書も売っています。しかし、僕がMacを使い始めたころは、ほんとに何もなかった。独学でやるしかなかったんですね。

初めて買ったMacは、モニタも小さくて、画面も白黒。確か百万円くらいはしたはずです。購入後は自宅に置いて、猛勉強しました。プリンタも買ったんだけど、なかなか印刷ができなくてね。紙を吸い込むまで、何日もかかりました。
そんな状態だったから……これは失敗したかなぁ?と思いましたね。でも、高いお金を出して買ったから、がんばって使えるようにしましたよ。今では自分のHP(ホームページ)も持っていて、もう三年ぐらいかな。デザイン的には凝ってはいないけど、情報量は結構あります。

今はパソコンもかなり普及して、インターネットも生活の一部になりつつあります。不況で大変かもしれないけど、クリエイターを目指している人、特に若い人たちは、もっと今の環境を利用すればいいと思います。自分のHPを作って、どんどん作品を見せていけばいい。興味のある人は、ちゃんとチェックしているだろうから、どこかで誰かの目に引っかかるかもしれない。

パソコンやインターネットは、始めるまでは未知の世界で恐いかもしれないし、めんどくさく思うかもしれない。けれど、今の時代にパソコンも使えないのは問題だと思う。避けているのはもったいない話です。そのうち、パソコンに触れていなかったことが、つらくなってくるかもしれませんね。

最初はどんな理由でもいいんです。いやらしい画像が見たいとかでも……とにかく、始めることが大切なんです。始めておもしろかったら、どんどん深みにはまればいい。そこまでいかなくても、せっかく手軽で楽しめる環境があるのに、利用しないのは本当にもったいないですね。だから、若い人はもっと今の環境を、利用した方がいいと思うよ。

 


WinGraphic(インプレス)Vol.10 1999年5・6月号 DTPトレンドWATCH  赤坂トオル

タイプラボ主宰、佐藤豊氏に聞く
フォント作成ブームとフォントの魅力

写研やモリサワ写植機への字母提供、積極的なデジタルフォントへのコミット、さらに自らWebページを運営し各種情報を提供……と、20年以上にわたりタイポグラファーとして活躍する佐藤氏に、フォントの魅力を聞いた。

―――フォント作成がブームですが。
昔から通信教育でレタリングデザインが流行するなど、同じようなことは何度かありました。これはいつの時代にもある自己表現の一つでしょう。当然Webの力もあると思います。簡単に作品を公開できるのですから。また他人が作ったフォントサンプルを目にする機会が多くなり、「あ、これカワイイ」と思ったらスグに自分で使うこともできる。中にはフォントという意識さえなく、デザインとしての面白さにひかれダウンロードするんだけど、 「どうやってパソコンに表示するの?」というレベルの人もいるようです。

―――フォント自作の魅力って何ですか?
パソコンのキーボードをたたくと、自分の作った文字が画面に出てくる。これって結構ワクワクすることなんですよ。それで印刷もできるわけだし。自分でフォントを作ろうという動機は、案外こんなところにあるんじゃないでしょうか…。

―――プロの立場からこの流行はどう見えますか?
一般論ですが、プロはあまり興味がないのでは? デザインが玉石混交なのは仕方がないとして、実際にフォントを作ってみて、そこから仕事の大変さや価値を理解してくれる人が一人でも増えればいいと私は思っています。

―――似たようなカタカナフォントが増えてますが…
雰囲気が似ているのはいいんじゃない。例えば誰それのデザインに似ているとか、オリジナルがわかる状況は決して悪いことじゃない。それはコピーということとは違う。

問題は他人のデジタルデータをそのまま再配布したり、手を加えて自分の作品とするようなことです。このあたりの区分けは確かに本人の自己申告に任されている部分もありますが、それぞれのコンセプトでデザインしたものが結果的に似た雰囲気を持つことはあり得ます。

まあ、見ていると「完全にトレースしているなあ」というのもありますが…。フォント制作は、絵画を作るというよりも、音楽を作るイメージに近いのではないかな。

―――自作フォントを公開している個人の中には、「次は2バイトで漢字にも挑戦したい」という声もあります。
そうですね。カタカナはエレメントを用意して組み合わせれば何とかなるので、一番作りやすい。だからひらがなは少ないでしょ。現在のブームの中から本格的にフォント制作を志す人は出てくるでしょうが、「フォントの権利を持っているからすごくお金が儲かる」みたいな一般のイメージはまったくの誤解です。

ベンダーもそうですが、私たち自身もユーザの数を増やす努力をする必要がある。実際多くのフォント制作者は権利を売りきり(買い取り)にするか、自分で権利を保有してロイヤリティで収入を得るかで、いろいろと悩んでいるんです。ハタから見るほど楽じゃないんですよ。

 


ラプラス取説研究所 研究発表第45回 インタビュアー:ラプラス取説研究所 高山 和也

ディスプレイ上のフォント

現在の表示解像度では、アウトラインフォントをラスタライズし、アンチエイリアスをかけるという方法は、可読性に問題があると思います。表示用のビットマップフォントを別に用意すべきだと思いますが、いかがでしょう?

そうですね。やはり時間をかけてじっくり作られた、優れたビットマップフォントが最良だと思います。
確かにアンチエイリアスをかけてアウトラインフォントを表示すれば良いのでしょうが、解像度が現在の倍以上ないと「T-time」のように文字を拡大して表示するしかないように思えます。これでは文芸物には使えても、マニュアル文書では1画面での情報量がとても少なくなってしまいますね。

アウトラインフォントならば、ゴシック系のフォントで12〜16ピクセル程度の大きさを維持する必要があると思いますが、いかがでしょう?

私は画面上では14ポイントのOsaka(Macintoshの標準フォント)で読み書きしています。液晶ディスプレイやマルチスキャンディスプレイを使っていると、12ポイントでは小さくて目に辛いですね。
PDFで見るのであれば、明朝体よりもゴシック体のほうが読みやすく感じます。もちろん表示するフォントのデザインにもよりますし、私の好みの問題かもしれません。

「ビットマップフォントの方が見やすいことは理解しているが、手間を考えるとペイしない」というジレンマについてはいかがでしょう?

プロ用の印刷用フォントはともかく、果たして画面表示用のフォントを買ってくれる人がいるか疑問です。目にも優しく本当に読みやすいものであるなら、買ってくれるユーザーもいるのかもしれませんが . . . 。
しかし、現状の環境ではOsaka以上のフォントを提供するのは、とても難しいのではないかと感じています。OsakaはOS標準フォントのため無料であるうえに、常に改良を続けています。
特定のアプリケーション上でしか使えないフォントというのも不便ですし、グレースケールフォントを使うにしても、OSと関係してくるので難しい面が多いと思います。

やはり「デザインされたフォント」は従来の制作過程を踏襲し、基本フォントはOSメーカーの責任の元で視認性/可読性を追及する、ということに落ち着くのでしょうか?

本当に良い、画面表示用のフォントを作ってみたいですね。でも時間と費用、そしてOSとの連係が必要なところが問題です。そのため、現実的にはOSベンダーに期待するしかないのかもしれません . . . 。
チャレンジしがいのあるある仕事だと思うのですが。

最後に、Microsoft社が提唱しているClearType技術についてはいかがでしょう?

現在の聞いた範囲では、ClearTypeはカラーモニタで白黒文字を表示するときに効果が出るのであって、カラー文字では色が干渉して問題があるように思えます。
しかし、これをOSレベルで採用することで、表示品質の向上が安価に実現できるのではないかという期待もあります。

どうもありがとうございました。(1999/02)  

 


MAC POWER(アスキー)1999年 1月号 Macのある風景 Photoエッセイ:写真家・大谷 治

フォントのはなし

「大阪」と「京都」と聞いてフォントを連想する人は、Mac病に冒されたことがある人と思って間違いない。それもかなり初期のころのだ。Macintosh Plusを使っていたころの打ち出されるフォントは、ギザギザ、ボタボタといった代物だった。もっと種類があったらいいと思い続けていたのは自分だけではないはず。

Mac病を僕にうつした友人が言った「MacはWISYWIG(ウイジイウイグ)だからいいんですよ」と。なにがWISYWIGだ、ImageWriter IIがジャー、ジャーと体を震わせながら打ち出してくる文字は悲しいくらい粗かった。だからいまだにWISYWIGという文字を見るとあのジャギーを思い出してしまうのだ。

その後Macでは、ビットマップフォントに加えてアウトラインフォントの「PostScript」や「TrueType」ができたり、非PostScript対応のプリンターではATMを使用するなど、さまざまな改善がなされた。フォントの種類も飛躍的に増えており、選択に困るくらいである。

タイプフェースデザイナー佐藤豊氏は、初期の大阪(ゴシック体)や京都(明朝体)が機能商品的書体、つまりパソコンのOSやプリンターに最初から入っている書体なら、自分は嗜好商品的書体を作っているのだという。

10代のときレタリングを通信教育で習ってから字体に興味をもったという彼は、「写研コンテスト」、そして活字をデザインするタイプフェースという仕事があることを知る。22歳のころにはどうしても書体を作ってみたいと思うようになった。

13年前に石井賞を受賞し、米国では欧文書体「paper clip」が商品となった。そして'85年には写研から「ラボゴ」が発売された。「パソコンへの興味は当時からあったんです。仕事が楽になると思いました」と語る佐藤氏。「Macに向かっていったのは当然だったような気がします。ただそのころは、PostScriptのデータはどこも受け付けてくれないので、けっこう苦労しました」。 

現在までに、彼はたくさんの書体を発表している。彼は「衣服が身体を守るための機能と割り切り、1つのデザインに決めて何億という人間が同じデザインの服を着ているような国も昔はありましたが、さまざまな形や価格の衣装を自由に選択できたほうが楽しい。書体もそれと同じで、文章の本来の意味に変わりはないが見た目のイメージは変化するんです」と言う。

彼の話を聞いたとき、デザインフォント「エミグレ」を作成したデザイナーをカリフォルニアに訪ねたことを思い出した。彼らは「フォントを作っていくなかで、もっと楽しみたい、もっと自分を表現したいと思ってきたんだ。もうニュートラルでいるのはいやなんだ」と話していた。佐藤氏と同じ、自由な発想がそこにはあった。

佐藤氏の作る書体は「かな」が主流だ。なぜ「かな」なのかを聞いて見ると、ひらがな、カタカナは日本独自の文字なので日本人の自分がやらなければと思って頑張ってきたという。デザインすることは漢字も英字も同じだけれど、漢字は数が多いので、最近完成した総合的な書体には3年半かかった、と語ってくれた。

最後に良い書体とはどんな書体かを聞いた。「良い服とは、音楽とは、本とは……。答えは人それぞれですね。書体もユーザーが気に入ったものを使えばいいと思っています。好きな書体で自由に伝えること、それが良い書体だと思います」。佐藤氏のホームページ(URLはhttp://www.type-labo.jp/)ではそんな彼の作品を見られるほか、いくつかのフォントを無償でダウンロードできる。

●トップページへ