エムディエヌ(MdN) 2000年2月号 文字のこころ

書体をデザインするということ

書体をデザインするとき、特殊な方法やソフトウエアがあると思っている人がいるが、特に変わったやり方があるわけではない。絵を描く画材がいろいろあるように、どんな道具を使って書体をデザインしても構わない。毛筆で和紙に描いてもいいし、クレヨンやボールペンを使っても別に問題はないのだ。
ただし、それをフォントという現実に使用する形態にするときには多少の制約がでてくる。この誌面を読んでいる人にとってフォントとは、最低限パソコン上で使用可能なデジタルデータでなければならないだろう。

デジタルデータ化する方法もいろいろある。私の場合、文字をデザインした原画があれば、それをスキャナで取り込みIllustratorでトレースをするし、ロットリングで描いた小さな文字を、オートトレースソフトでデータ化することもある。
最近は原画を描かずに直接パソコンのモニタ上で文字の形をデザインすることも多い。他人との共同作業でない限り、どんなやり方でも別に問題はないのだ。

データ化するときに私がいちばんこだわるのは、自分が発想した書体デザインに最適の方法を見つけることなのだ。そのため毎回違う方法でデータ化することになり、ノウハウが再利用できず苦労している。
しかし自分が楽をするために、貴重なデザインエッセンスが薄れてしまっては意味がないので、これからも新しい書体をデザインする度に最適なデータ化の方法を模索していくと思う。

誰もが自由に書体デザインを始められるし、それをパソコンでフォントデータ化するツールも用意されている。つくられたフォントは、ウェブや雑誌の付録CD-ROMを介し、多くが無料で配布されている。そのエネルギーやデザインの大胆さには目を見張るものがあり、圧倒されたり感心もするのだが、なかには既製の書体をトレースしたものや、既製フォントデータをソフトウエアで変形処理しただけのフォントが存在する。

グラフィックデザインが印刷媒体を中心に動いていたころは、活字や写植のスタイルブックがどこの仕事場にもあり、デザイナーの誰もが国内外の各種書体を頭にたたきこんでいた。私も書体をデザインする立場として、既製のデザインと似たものをつくるのは嫌だから、ずいぶんと真剣に何千もある書体サンプルを眺めたものだ。そういう人間からみれば前述のようなズルをしているフォントは一目瞭然なのだ。

どんな創作でも、誰でも最初は模倣から始めることが多いし、よいものを分析して勉強するのは結構で大切なことだと思う。しかし、それをそのまま自分のオリジナル作品として発表・配布するのは遠慮してもらいたい。それは、他人が描いたイラストを、Photoshopを使い無断で加工して、自分のオリジナルと公言するのと同じ行為なのだ。

また、フォントを販売する側の人達は、書体の流行とか寿命をよく口にする。しかし私は、そんなことを気にしてはいない。それは短期間にビジネスを成功させたい商売人の方便だ。使いやすいフォント形態で存在さえすれば、つくられた書体の寿命は永遠に続く。どうせ苦労してつくるのなら、ヘタでもいい、人の意見や流行に左右されず思いきり自分の嗜好でデザインしたいものだ。

ずいぶんむかしのことだが、知人から「タイヤの痕跡パターンで書体をデザインすれば?」と言われたことがある。「このアイデアでつくられた書体はまだ存在しないでしょ」とその人に熱っぽく語られ閉口した。
そんな簡単なことなら百科事典の「あ」から始めて「アメ」とか「アリ」などの形象をすべて書体のモチーフとして取り入れていけば、すぐに数万種のデザインアイデアができる。そういう方向で書体をデザインしたい人はそれを実行すればいいと思う。

しかし私の目指す書体デザインは、表面的な形やアイデアで文字を装おうものではなく、文字本来の言語伝達機能を損なわずに、自分の意図するイメージを文字の骨格やカーブに巧妙に埋め込むことなのだ。

そして私自身は、完成度が高い八方美人的な書体をつくりたいわけでもない。万人を満足させるモノなど誰もつくれるわけはないし、そんな書体が魅力的とも思わない。
多少の欠点があっても、そんなことなど気にならなくなるぐらいの別な魅力があればいいのだ。今、自分の周りのお気に入りのモノも人も、そういうことで成り立っている。ヘタでもいい、多少の欠点があってもいい、人の心にすっと入り込み、印象に残る書体をデザインしたい。

文字のこころ、及び表題は、MdN編集部の手によるものです


エムディエヌ(MdN) 2000年 1月号 文字のこころ

デジタルフォントのあり方

半年ほど前、ある雑誌から「デジタルフォントのレベルが低い原因は何でしょう?」という質問があった。デジタルフォントのレベルが低い? 書体をデザインする側の立場として、そうは思ってはいなかったのでちょっとショックだった。

印刷用書体のデジタル化は昨日今日に始まったことではなく、MacintoshによるDTPが始まる以前、文字組み版の主流だった電算写植機はデジタル化されたフォントを使っていたし(註1)、大手の新聞でも20年ほど前からデジタルフォントを使い出しているはずだ。それらを見たり読んだりする側からは特に不満は出ていなかったように思う。質問にある、レベルの低いフォントとは、最近のDTPで使用されているアウトライン・フォントのことらしい。

デジタルフォントの再現性について考えてみよう。書体のデザインは、活字時代のごく初期を除けば、ほとんどは紙の上に描かれている。その原画の文字の大きさはさまざまで、書体デザインや描く人の慣れ、またはフォント制作システムの都合などで決められる。

たとえば、大きな看板用の文字が得意な人がいて、その人にその看板文字を無理に2センチの大きさで書かせたら、特長が生きずにまったく違ったものになってしまうからだ。とはいえ、そのような筆書系以外の書体の原画は48ミリとか2インチ(50.8ミリ)とかで描かれることが多い。これは印刷用フォントの主流であった写真植字用の書体を開発していた会社の都合に合わせたものだ。

文字の原画を、仮に50ミリとする。書体デザイナーやその関連の技術者たちは、線画の0.1ミリぐらいの差を描き分ける。その原画を写真的に複写してアナログのフォント(写植文字盤など)がつくられていたのだ。その原画の精度をデジタル的に言い換えると「500×500」のドットで文字が描かれているということだ。仮に倍の精度の0.05ミリで原画が描かれていたとしても「1,000×1,000」、その程度だ。

では現状のデジタルフォントの精度はどうなのか。販売されている日本語PostScriptフォントのほとんどは、1,000×1,000のメッシュサイズ(註2)だ。十分に文字の原画は再現できる。まれに数千のメッシュサイズを誇るフォントや、一部のフォントメーカーが開発時に1万メッシュ近くで作業している場合もあるが、ごく特殊なデザイン処理がなされた書体でない限り1,000メッシュは妥当な数値だと思う。

従来から活字や写植機のフォントを制作・販売してきた会社のデジタルフォントは、できうる限り忠実に再現しようとデジタルデータをつくっているし、彼らなりのプライドもあるはずだから品質に問題のあるフォントは販売しないだろう。
では新しくフォントビジネスに参入してきた会社のフォントデータの品質は低いのか。彼らも同じような方法と数値でデジタルフォントをつくっている。デジタルフォントだからといって特に再現品質が下がる理由はここにはない。

では書体のデザインに目を向けてみよう。われわれが何気なく使っている日本の文章には、中国から伝わった漢字・日本独自のひらがなカタカナ・欧米の文字・その他の記号類など、文化や用途の違う文字が混ざって使われている。それらをひとつのイメージにまとめるのが書体デザインという仕事だ。

表面的なデザインを揃えるのはそんなに難しいことではない。しかし、漢字・かな・欧文・記号などの大きさや太さの加減、そして縦・横に組んだときの行としての文字の自然な並び。それらを考慮しつつ書体をデザインするには、かなりの知識・経験・能力、そして検査・修正する時間が必要なはずだ。この根本的で大切な部分をおろそかにしている会社やフォントがあるのは事実だ。

デザインレベルが低い書体は、残念ながら活字や写植が全盛のころから存在していた。しかし書体を使う側の人たちが、多くの失敗と経験を重ねながら取捨選択していたから、問題にならなかったのだ。 
昨日まで仕事で長年使っていた書体が、作業のデジタル化によって突然使えなくなり、代わりに見慣れない書体が大量に目の前に現れる。検討する時間もなしに書体を選択し、その結果に失望する。そんな状況から文頭の質問が発せられたような気がする。

伝統ある活字や写植の書体もかなりデジタル化が進み自由に購入できるようになってきている。違う会社のフォントをひとつのマシンの中で使い分けることなど不可能だった時代から比べればすごい進歩だ。
そして数えきれないぐらいの新しい書体も増え、それぞれ自由な価格で販売されている。価格差は100倍くらいあったりもする。業界標準だとか他人の言葉に惑わされずに、自分の仕事や目的に合った書体をそろそろ真剣に探すべきだ。

安いフォントの中にもすばらしいものがあるし、有名な会社だからといってすべてのフォントがすばらしいわけでもないだろう。それぞれの仕事に最適の書体を見つけ、うまく使いこなすのがプロの仕事であり楽しみなのだから。

註1 :ごく初期には円形のガラス文字盤を高速で回転させ、フラッシュ露光によって文字を印字していた電算写植機もあった。
註2 :アウトライン文字を描くために必要な各種のポイント位置を記録できる数学的な編み目の数。単純なドット数のことではない。

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